私を壊すスリル、私を満たす背徳。なぜ「いけない恋」ほど甘く燃え上がるのか?

月曜の午前10時。 無機質なオフィスで、私はエクセルのセルをただひたすらに数字で埋めていた。 決められた日に振り込まれる給料。十年先まで見えてしまうキャリアプラン。健康診断の結果はオールA。

私の人生は、いつだって「正解」の連続だった。 親の期待通りの大学を出て、安定した会社に入り、誰からも後ろ指をさされない真面目な毎日を繰り返す。 でも、その完璧な答案用紙のような人生の上で、私の心は乾いた砂漠のように静まり返っていた。

「このまま、何も起こらずに私は歳をとっていくのだろうか」

その時、膝の上に置いたスマートフォンのバイブが、短く、私の太ももを震わせた。 彼からの秘密の合図。

その通知一つで、灰色の世界に鮮やかな火花が散る。 心臓が『ドクン』と大きく脈打った。血管の隅々まで、熱い血が駆け巡る感覚。退屈なOLの「私」が死んで、新しい「私」が生まれる。

ああ、そうか。

私が本当に求めていたのは、愛でも、安らぎでもなかった。 私が心の底から欲していたのは、この完璧で退屈な日常を、めちゃくちゃに壊してくれる、甘い罪の味だったのだ。

「良い子」の仮面と飼い慣らされた心

私の人生の答案用紙は、いつだって花丸で埋め尽くされてきた。

物心ついた頃から、「良い子でいなさい」が親の口癖だった。門限はきっちり守り、親に嘘をついたこともない。勧められるがままにピアノを習い、塾に通い、親が満足する偏差値の大学に入った。

学校では、先生の言うことをよく聞く、模範的な生徒。校則を破るなんて考えたこともなかった。

就職だってそうだ。一部上場の、安定した会社。親が親戚に自慢できるような、完璧な選択。

そうやって、私は完璧な「良い子」の仮面を被り、周りの期待という檻の中で、おとなしく飼い慣らされてきたのだ。

でも、その仮面の下で。心の奥底で。 誰にも言えない黒い願望が静かに燻っていることにも気づいていた。

「一度でいい。めちゃくちゃになってみたい」と。

友人たちが、校則を破ってピアスを開けたり、親に内緒で朝帰りしたりするのを、私はいつも少しだけ羨ましく、そして、ほんの少しだけ軽蔑しながら眺めていた。 私には、その檻を飛び出す勇気がなかったからだ。

秘密のチャイムが世界を色づかせた

そんな私の前に現れた彼との関係は、だから、恋愛というより生まれて初めての『冒険』に近かった。

彼との連絡は、普段使わない専用のチャ-ットアプリを使った。誰にも見られてはいけない秘密のチャイム。その通知音が鳴るたびに心臓が大きく跳ね上がり、飼いならされた日常に『ぴしり』と亀裂が入る。

会う場所は、お互いの生活圏から絶妙に離れた行ったこともない街のホテル。 完璧なアリバイを考え、同僚との会話に巧妙な嘘を混ぜる。 その一つ一つが、退屈な人生に与えられたスリリングなミッションのようだった。

会社の近くでばったり会った時、他人のふりをしてすれ違う瞬間の、背筋が凍るような快感。彼のジャケットの誰にも見えない内ポケットに、そっと私のピアスを滑り込ませた夜の罪悪感に濡れた万能感。彼のシャツの襟に知らない誰かの長い髪の毛が一本、見つけた時の『ちくり』とした痛み。

その全てが、私が「生きている」強烈な証だった。

灰色の世界は、彼という秘密を手に入れた途端、極彩色のエンターテイメントに変わった。 私は、人生で初めて物語の『主人公』になった気がしたのだ。

たとえ、それが破滅に向かう物語だとしても。

罪悪感は最高の媚薬だった

「悪いことをしている」

その自覚は、常にあった。 そして白状するならば、その「罪悪感」こそが、彼との時間を何よりも甘美なものにしていたのだ。

オフィスで、完璧な笑顔で上司にお茶を出す、真面目な「私」。

ホテルのベッドの上で、彼のシャツのボタンに指をかける淫らな「私」。

その二人の「私」のギャップが大きければ大きいほど、私の心は背徳感という名の興奮に震えた。 善人であればあるほど、悪事に手を染める快感は増す。 罪の意識は私たち二人にとって、どんな高級な酒よりも強烈な媚薬だったのだ。

私たちの間にあったのは、恋人同士の甘い会話ではない。 世界中を敵に回した、共犯者だけが分かち合える濃密な沈黙だった。

彼を裏切らせ、そして私もまた、社会道徳を裏切る。 そのヒリヒリとした共犯関係だけが、退屈な「良い子」として生きてきた私の、乾いた心を確かに満たしてくれた。

私が本当に欲しかったのは彼?それとも「刺激」?

ある夜、ホテルの部屋で、私の髪を撫でながら、彼がふと、呟いたのだ。 「……本気で、離婚、考えようかな」と。

不倫をしている全ての女性が、待ち望んでいるはずの言葉。しかし、 私の心臓は喜びではなく、氷水を浴びせられたように、きゅっと縮こまった。 恐怖だった。

心のどこかで、ずっと気づいていたのかもしれない。 私が求めているのは彼という「安住の地」ではなく、彼との関係がもたらす「刺激」という名の「嵐」そのものであることに。

彼の「離婚」という言葉は、その嵐の終わりを告げる、凪の知らせだった。 そして、凪を前にして私は絶望的な退屈を予感してしまったのだ。

ああ、やはりそうだったのか。 私が本当に愛していたのは彼という人間ではなかった。 私が心の底から求めていた甘美は、彼を共犯者にして行う「良い子」の人生に対する裏切り行為そのものだったのだ。

【まとめ】幸福と破滅のどちらを選ぶのか

私は、彼を愛していたのだろうか。 正直に言って、今もその答えは出ない。

ただ、一つだけ紛れもない事実がある。 彼と共有した罪の味だけが、私の乾ききった心を潤し「生きている」という実感を与えてくれた事実…

平凡な幸福と、刺激的な破滅。

もし、あなたの目の前に二つの扉があるとしたら。 本当に心の底から前者を選ぶと、胸を張って言い切れるだろうか?

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