【続編】それでも、その愛が本物だと感じるあなたへ。選ぶべき道と失うもの。

前回の記事の、全ての問いを自分に投げかけてもなお、あなたの心は「彼女だ」と叫ぶのをやめない。

妻への感謝も、罪悪感も全てを飲み込んでなお、消えない想い。

【既婚者なのに】職場の後輩(部下)を好きになってしまった…その感情、本当に“愛”ですか?

もし、あなたが今その場所に立っているのなら、私たちはもう、理屈や心理分析の話をすべきではないのかもしれません。 その感情の正体は、もはや「気の迷い」などではない。それは、あなたの存在の根幹を揺さぶる『本能』そのものです。

「彼女を抱きたい」

綺麗事をすべて剥ぎ取った先にある、その、むき出しの欲求。 この記事では、その根源的な欲求を、まず全面的に肯定することから始めます。なぜなら、それこそが、あなたがまだ「生きている」何よりの証拠だからです。

なぜなら、その「欲」は、あなたが生きている証だから。

「妻以外の女性を抱きたい」。その感情は、社会倫理的には不道徳かもしれません。しかし、その善悪を判断する前に、その欲求が持つ『熱量』を感じてください。

それは、あなたの生命力の証です。穏やかな日常の中で眠っていた『男』としての本能が、まだ死んでいなかったことの証明です。その欲求を無理やり否定し、汚らわしいものとして心に蓋をすることは、あなた自身の魂の一部を殺すことに等しい。

だから、まず認めましょう。そして許しましょう。 「俺は、彼女にどうしようもなく惹かれている。そして、抱きたいと願っている」 ここが、あなたの本当のスタート地点です。

その「欲」が指し示す、3つの未来【究極の選択】

その本能を肯定した上で、では、あなたはその激しいエネルギーとどう向き合いますか。 その炎を、どの未来を照らすために使いますか。 ここに一切の綺麗事を排した3つの選択肢を提示します。

1. その欲を『遂げる』という道

現在の家庭を清算し、後輩(部下)と共に新しい人生を歩むという選択です。もし、それがあなたの魂の叫びならば、その道を選ぶ権利は誰にも否定できません。 ただし、その道を選ぶのなら、失うもののリストを直視する覚悟が必要です。

  • 妻の涙と人生: あなたを信じていたパートナーの心を深く傷つけ、その後の人生に癒えない傷を残します。
  • 子供の未来: 養育費という金銭的責任はもちろん、「父親が、他の女性のために自分たちを捨てた」という事実は、子供の心に生涯の重荷となる可能性があります。
  • 社会的信用: 職場での立場、共通の友人、双方の親族との関係は、ほぼ間違いなく崩壊するでしょう。
  • 経済的代償: 慰謝料、財産分与、そして二つの家庭を支える経済的困窮。今の生活水準は、まず維持できません。

これら全てを引き受けてでも、彼女と共に生きるのが「本物の愛」だと、あなたは胸を張って言えますか?

2. その欲を『昇華させる』という道

後輩(部下)によって呼び覚まされた、その強烈な「男としての生命力」。そのエネルギーを別の形で燃焼させ、人生そのものを再構築するという選択です。

これは、単なる『我慢』ではありません。その熱量を、妻との関係を『本音で』再構築する方向へ使うのです。 『母親』や『同居人』になってしまった妻を、もう一度『一人の女』として見つめ、「俺に惚れ直してほしい」という覚悟で、本気で向き合う。それは、後輩(部下)を口説くことと同じか、それ以上のエネルギーを要する、最も困難で創造的な道です。

あるいは、そのエネルギーを仕事や全く新しい挑戦にぶつけ、人生そのものを変革させることで、特定の誰かに依存しない自分自身の確固たる世界を築き直す道もあります。

3. その欲を『秘密』にするという道

現在の家庭は維持したまま、後輩(部下)とは「割り切った関係」を築くという、最も危険な道です。

【大前提】ただし、そこに「嘘」はないか? この道は、後輩(部下)があなたの状況を全て理解し、双方完全に合意の上でなければ、決して成立しません。 もし、あなたが後輩(部下)に対して、「妻とはもうすぐ別れる」といったをついたり、相手の純粋な好意に付け込んで既成事実を作ろうとしたりするつもりなら、この記事を読むのを、ここでやめていただきたい。 それは、愛でも恋でもなく、ただの『搾取』です。そのような卑劣な行為に手を染める者に、誰かの人生や愛を語る資格はありません。 この先を読むのは、自分の状況(家庭を壊すつもりはないこと)を全て正直に話した上で、それでもなお、相手が「あなたと共にいたい」と同意するという、奇跡に近い合意形成を目指す覚悟のある者だけです。

その覚悟の上でなお、この道には終わりなき十字架が待ち受けます。妻への裏切りという罪悪感。発覚への恐怖。そして何より、あなたを信じて『二番目』でいることを受け入れた後輩(部下)の未来に対する、重い責任です。この茨の道を、あなたは歩み続けることができますか?

【まとめ】:どの道を選ぶも、そこに「責任」はあるか

三つの道、そのどれを選んでも、あるいは選ばなくても、あなた自身の『本音の欲』から目を背けることはできません。 この記事が提示したのは、三つの『未来の可能性』です。どの未来を選び、どの責任を引き受けるかは、あなた自身の魂が決めることです。

この苦しい感情の嵐は、あなたに「本気で生きろ」と迫る、人生からの問いかけなのかもしれません。 どの道を選んだとしても、その先にあるのが単なる破滅ではなく、苦しみの果てに自身が掴み取った「本物の人生」であることを、心から願っています。

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